10月24日礼拝説教概要

「豊かな実を結ぶ」 ヨハネによる福音書15章1~8節
 主イエスは仰せられます。「あなたがたが今あるのは、全て私によってです。私なしでは、私と結ばれていなければ、あなた方は失われた存在です。私に結びついていれば、あなたがたは命を持っています
 この事をぶどうの木に譬えています。「わたしはぶどうの木、あなた方はその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かな実を結ぶ。わたしを離れては。あなたがたは何もできないからである。」(5節)主イエス御自身がぶどうの木で、私達はその枝=キリストの一部だと言われます。罪にまみれ神の御前に恥ずかしい者ですが、十字架によってキリストの一部とされて、常に関わりを保ってくださるリアルな関係で結ばれています。それは私達が霊的な実を結ぶ為です。その為にはどのような事があってもキリストの愛に留まり続けさないと、しかし「私につながっていながら実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。」(1節)と、初めに宣言されております。
 神は直ちに取り除く事はなさいません。取り除くとは、つまむ・持ち上げる、という意味も含まれており、ぶとうの木の成長を逐一み守り、日々顧みて心を砕かれ、良い環境の所に枝を動かして、全ての実が結ぶように手助けしておられます。「投げ捨てられるのではないか」と、恐怖心に支配されるのではなく、取り除かれないよう、主の御前に平伏し「私の中に腐敗したものがあるなら取り除いてください。私の中に新しい霊を起こしてください。」と求める事を神は喜ばれるのではないでしょうか。主イエスは「あなたの宝のある所に心はある」と仰せられました。私の意思は何に結ばれ、何に根を降ろしているか、絶えず自問自答する事が、主イエスに留まり続ける事になります。留まる事に難しさを覚えますが「みなし子にはしない」と約束してくださっていますから、聖霊なる神が私達を結びつけてくださいます。神なしに一時も生きていけない事をいつも教えて頂けるように、日々祈って参りましょう。