5月30日 礼拝説教概要

「祈り合う仲間」 ヤコブの手紙5章12~24節
 
 苦しむ人に対して「祈るがよい」、病気の人に向かって「祈ってもらうがよい」、喜んでいる人に「賛美するがよい」と勧めています(13~14節)。救い主イエス・キリストは十字架にお架かりになる直前まで「目を覚まして祈っていなさい」と、弟子達に祈りによって神との関係を持ち続ける事を教えておりました。
 聖書に登場し神から豊かな祝福を頂いた人々は順調に階段を登るような人生を歩んだのではなく、苦難の中祈りによって勝利を得た人々です。特別な英雄ではなく私達と同じような人で、数百名相手にたった一人で祈りの勝負を挑み、勝利した旧約時代の預言者エリヤが例に挙げられています。彼の力の秘訣は祈りでした。「エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、3年半にわたって地上に雨が降りませんでした。しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました」(17~18節)。この出来事は列王記上18章に記されていますが、相反する二つのタイプの人間模様を見る事ができます(41~45節)。雨が降る兆候が現れると早々と祈りの手を下し飲み食いするために山に上る人々と、一人で雨が降る迄=祈りが実現する迄、膝の間に顔を入れて地に伏して祈るエリヤの姿です。エリヤは全て見えるものに目を奪われる事なく、何ごとが起きるかを見聞きする事ができないように祈りに集中し、祈りに祈った姿です。
 祈りとはエリヤの如く神を信じ切り「信じる通りになる」と、とことん求め続けていく大胆さです。神は今日も生きて働いております。例え落胆するような状況であろうとも、祈りの答えが遅れようとも、それも恵みの一部分だと信じて行くことが信仰です。神は私達の全てをご存知で、祈り求めてすがっていく事を喜んで待っておられます。祈りの結果に一喜一憂するのではなく、先ず神をつかみ続け、手離す事なくすがっていく時に結果は自ずとついてくるものです。