5月9日 礼拝説教概要

「サムエルの誕生」 サムエル記上1章9~20節
今日の「母の日礼拝」を感謝します。母親とは実に有り難い存在です。私の母は78歳、私はもう54歳ですが未だに私は子供扱いです。しかし感謝です。
今朝の聖書、サムエル記上1章には預言者サムエルは母ハンナが主に願って得た子であると記されています。私たちは様々な問題を抱えた時、神に向かってどのように祈りますか。サムエルの母ハンナは悩み嘆き、男の子を授かるようにと神に祈りました。13節に「ハンナは心のうちで祈っていて、唇は動いていたが声は聞こえなかった。」と記されています。「祈り」とは人に聞かせるためではなく、神に聞いて頂くために心の声で祈ります。ですからハンナは心のうちで祈りました。それを見ていた祭司エリが“ハンナは酒に酔っている”と勘違いするほど長く祈りました(16)。しかしハンナは穏やかでした。「いいえ、祭司様、違います。わたしは深い悩みを持った女です。・・・ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました。・・・今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです(15~16)」。
切なる祈りとは「ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出す」ことです。「深い悩みを持つ」ハンナは、神に「訴えたいこと、苦しいこと」が沢山あり、それらの「心からの願い」を「主の御前に」途切れることなく「注ぎ出」しました。主なる神はハンナの祈りに応えて、確信をお与えになりました。「彼女の表情はもはや前のようではなかった(18)」。すると主は彼女を御心に留め、サムエルをお授けになりました。
私たちもハンナのように、「ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました」と言える者、祈りが叶えられると確信する者へと変えていただきましょう。主から委ねられた「私たちの子供」…白百合保育園の子供達のためにも祈ってまいりましょう。