9月27日 礼拝説教概要

「星の数の報い」 創世記15章1~21節 
 「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」(6節)とありますが、神のご計画に信頼し委ねるには多くの不安がありました。アブラムを祝福し子孫に大いなる恵みを与える、という神の約束は子供が与えられないアブラムにとって信じ難い事になっていました。
 そのような時に神は「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう」(1節)と呼びかけましたが、神への不信は募り「わたしに何をしてはくださるのか?・・・」(2節)と、不安をぶつけました。古代イスラエルでは男子の血統がない場合は奴隷が家を継ぐという習慣だったので焦りもあったのでしょう(2節)。
 神の堅固な盾の守りの中に祝福の約束を頂いているにも関わらず、後継者が与えられない悩みに押し潰されていたアブラムです。不安と焦りに支配されている彼を神は外に連れ出して、神が造られた数えきれない星を見せ、偉大な御業をなす神に心を向けさせたのです(5節)。
 自分の殻に閉じこもっている限り不安や悩みは重くのしかかり卑屈になるばかりです。天地創造された偉大なる神に出逢う事以外、苦しみや深い不安からは解放されません。その為に神は常に偉大なる印を見せて下さり、私達の頑なな心を解放し救い出して下さいますが、時が経つと又、自分の殻に閉じこもって悩む弱く危うい者です。
 「しるしを見て多くの人がイエスの名を信じた。しかしイエスご自身は彼らを信用されなかった。・・イエスは何が人間の心の中にあるかをよく知っておられる。」(ヨハネ2:23~25)と、あります。
 故に繰り返し礼拝毎に主イエスの十字架と復活の印を見せて頂き、祝福を確認させて頂く私達です。
 
 アブラムが外に連れ出されたように、自分の殻から踏み出して十字架を見上げた時、星の数の報いが待っています。神の恵みの広さ、長さ、高さを見上げて頂いた祝福の領域をどんどん広げていきたいものです(イザヤ54:2)。