7月19日 礼拝説教概要
「神に知られている確かさを知る」創世記5章21~32節
創世記5章には驚く程の長寿が記されていますが、神が天地創造されて間もない時代だったからです。神が人を創造された時は極めて良い状況で死は想定されていませんでしたが、アダムとエバの罪の結果、人は「死」という問題を背負っていくようになり、時代と共に人の寿命は短くなってしまいました。
詩篇90:10では人生70年程と、現代の状況になっています。生命力が減るという事は罪と関係しています。所がエノクという人物は「神と共に歩み神が取られたのでいなくなった」(24節)。「信仰によって、エノクは死を経験しないように天に移されました。神が彼を移されたのでみえなくなったのです。移される前に神に喜ばれていたことが証明されていたからです」(ヘブル11:5~6)と記されています。エノクの如くに神と共に歩む者は、神に喜ばれ善き者とされて、死を乗り越えて永遠の命を頂く確かさを保障されるという事です。
死の問題を人は解決する事はできませんが「神と共に歩む」事においてのみ人は死を乗り越えさせて頂けます。神と離れ背いて歩く人生が「罪」なのです。
そもそも人は神に似せて造られ、神に応答する特別な存在ですから、神に顔を向けて神と共に歩む事が自ずとできるように造られており、死んでからも神の祝福が保証されている私達です。
ですから神なき人生は不安となり、何とか未来の保証を自分で得ようと必至になり疲れ果てるものです。
人は自分で開拓して必至に人生を歩むものではなく、神に導かれながら歩んでいくのが本来の姿ですから、神に向き合っている限り、思い患いや悩みから解放され神に喜ばれる者とされていきます。私達はそのような神を知っていて、神にしがみついているつもりですが、神の方がこの手を既に握りしめてくださっています。「今は神を知っている。いやむしろ神から知られている」(ガラテヤ4:9)。私達が信じ慕っている神は、神御自身の方でご自分の元に引きよせてくださり、やがてエノクの如くにその手で天に引き上げてくださいます。神と共に歩む事は天に向って祝福の道を歩むという事です。感謝です。