6月21日 礼拝説教概要
神癒 究極の癒し マルコ2章1~12節
中風の病で患っている人を4人の人達が主イエスに癒して頂こうと運んできましたが、家の中は人だかりで入る事ができませんでした。彼らは「主イエスなら癒してくださる」という絶対的な信頼から屋根に穴をあけて、部屋の中につり下ろすという非常手段をとりました。
信仰とは何が何でも、人をかき分けてでも、主イエスの元に身を置く事です。主イエスはこのような揺るぎない信仰をご覧になって応えてくださいました。しかし直ちに病を癒されたのではなく「子よ、あなたの罪は赦される」(5節)でした。これは大変貴い究極の癒しのお言葉です。
私達は病を患う前に、悲しい事ですが、誰もが罪を負った人間です。「罪が支払う報酬は死です」(ローマ6:23)とパウロが語っている通り、健康そうに見えますが人間は根本的に罪という完治しない病にかかっています。例え目の前の病が癒されたとしても、誰もがいつかは死を迎えなくてはなりません。罪の赦しのない所に本当の命と祝福はありません。
主イエスの十字架が我が罪の為と信じる事ができない人は滅びの死に至りますが、信仰によって救われた人は誰でも、恩恵によって、肉体の死を超えて天国での永遠の命を頂く事ができます。「あなたの罪は赦される」と、主イエスの権限によって保証されています。「あなたの人生は底なし沼ではなく永遠の命の地盤があるから、死も病も何事も恐れずにこの私を信じて歩みなさい」といつも語りかけてくださいます。
病が癒されたいと思いながらも残念ながら天国に召される方も多くおられます。しかし、主イエスを信じる人はその信仰において相応しい死を遂げられます。永遠の祝福の命に確信を持っておりますから、希望を胸に凱旋されるのです。
私達はいつか人生の終止符を打ちますが、「滅び去るものと滅び去らないもの、一時的なものと永遠のもの」を区別する事ができます。私達は滅びるこの世を土台にせず、決して滅び去らない永遠の命を土台として生かされている事に毎日、毎日感謝しましょう。滅び去らない永遠の命を頂く事が究極の癒しです。これは全ての人に与えられます。