1月18日 礼拝説教概要 佐々木副牧師

「問うことのできるお方」
ローマ信徒への手紙13章11~14節
 「夜は更け、日は近づいた。」(12節)と記されています。近づくとは、将来の事態を先取りして生きる姿勢を示します。暗闇の只中で朝を待つような歩みをせよ、という事です。人生暗闇、と思ったらそのような歩みしかできず、その結果が「酒宴・酩酊、淫乱・好色、争い・ねたみ」(13節)です。朝を待ち望む事ができない故に、現実逃避や欲望に走ったり、争いの中、人の足を引っ張り、果ては一緒に落ちていきます。そこには自分の存在や生きる価値を見出す事はできず、意味のないつまらない生き方をせざるを得ません。その誘惑に巻き込まれない為に「闇の行いを捨て、光の武具を身につけましょう」(12節)とありますように、朝に向かう生き方、つまり神の光によって整えられて歩んでいかなくてはなりません。私達が光の中で生きる事ができるように、イエス・キリストが十字架に架かってくださり、既に勝利を勝ち取ってくださっています。
 しかしあまりにも闇が長いと、この暗さに呑み込まれるのでは、と不安になりますが、私達には「本当に朝が来るのか?」と問う事ができる神がすぐ傍らにおります。「今は夜の何どきか?」「夜明けは近づいている。しかしまだ夜なのだ。どうしても尋ねたいならば、尋ねよ。もう一度来るがよい」(イザヤ21:11~12)と、その度ごとに神の前に出て何度でも尋ねなさい、とおっしゃっています。漁師ペトロ達が何度網を下ろしても魚が取れなかった時、主イエスは彼らに沖に漕ぎ出して網を下ろしなさいと指示されました。彼らはそのお言葉に従った時、想像できない程の魚を収穫しました。一度で駄目なら更にもう一度、何度も何度も、これでもかという程、神に向き合った時、初めて私達は不安の中から確信を頂く事ができます。諦めずに神に尋ねながら光を求めていく生き方が信仰の歩みで、それは必ず朝に繋がっていきます。
 私達の誘惑は暗闇の中にどっぷり浸かってしまう事です。「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(ヨハネ1:5)と記されています。勝利は決定的ですが、私達は絶えずキリストと共に、闇からの誘惑と闘わなければなりません。その力も失せてしまった時「朝は本当に来るのですか?」と神に問いつつ、諦めず歩んで参りましょう。「主の慈しみは決して絶えない、憐れみは尽きない。それは朝ごとに新しくされる」(哀歌3:11~23)