永遠を想う

コリントの信徒への手紙二4章16~18節

澤田 武師

主題聖句 『わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」  コリントの信徒への手紙二4章18節
 私たちが生きているこの世界は見える物質で覆われています。それはつまり、過ぎ去るものがこの世界を支配しているということです。私たちの肉体も物質ですから、私たちの「外なる人」も、衰えてゆきやがて死を迎えます。
 キリスト教では、この、人の死をも神様に委ねます。神様がお創りになったこの世界の被造物は全て、その働きに終わりがある有限な存在です。
 しかし聖書は、人の死は「外なる人」の死ですべてが終わるのではない、と教えます。「命」を人の目では見ることはできませんが、神様は人の死を通して、人の命とは何かをはっきりと示されます。わたしたちに永遠の命を信じる心「内なる人」を与えてくださっています。
 私たちの「内なる人」は、永遠の神様を求めます。『わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」
 キリスト教信仰の最も重要な教義である「復活の永遠の命に共に生きる。」この信仰をよく表したのが「聖徒の日」記念礼拝ではないかと思います。私たちはこの世の時間に生きています。このことをはっきりと自覚するのは、人が死ぬ時ではないでしょうか。私たちは誰でも必ず天に帰る時がきます。また天に帰る人々を見送る者となる時があります。その時がいつ来るのかは神様のみがご存じです。
 かつて共に礼拝に集うことが許され方々、そして今は「聖徒」となられた方々と、今日再び共に礼拝をお捧げします。地上に生かされている私たちと、神様の御許に生かされている「聖徒」の方々と、席のある所は違っても、共に神様を礼拝する者としての歩みは変わりません。そのことを信じ感謝して私たちは共に礼拝を守っていきます。教会が世にある限り、聖徒の方々は、信仰者として永遠に存在しておられます。人の死は永遠を想う心を私たちに与えます。思いを巡らし、感謝をもって神様に委ねてゆきましょう。
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