忍耐強く走り抜く

ヘブライ人への手紙12章1~6節

澤田直子師

主題聖句 「あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。」 ヘブライ人への手紙12章3節
 ヘブライ書11章の「信仰者列伝」は12章の前振りです。この手紙を読む人々や、今のわたしたちを励ますために書かれています。1節「すべての重荷」とは、わたしたちが背負い込む、わたしたちの本質ではないものです。健康、美しさ、役に立つ、どれも良い事ですが、神の御心を聞くことに優先するものではありません。そして、その重荷を手放せないので、「絡みつく罪」に悩まされます。いらない重荷を捨てられないため足がふらつき、止まり、その足に罪が絡みつきます。神様が導いてくださる道を真っすぐに進めなくなります。
「定められている競争」とは一番を競うのではなく、完走を目指すものです。競争する相手は自分自身です。背負っている重荷や絡みつく罪が絶えず競争を放棄するようささやいてきます。その声には耳を貸さずに、神様の「わたしは、あなたと共にいる」という御声を選び取って聞き、その声に従う意志を握りしめて走り抜くのです。
 「忍耐」について、どのようなイメージを持たれるでしょうか。わたしは第一コリント13:4「愛は忍耐強い」を思い浮かべました。聖書が教える忍耐とは、ただ我慢することではありません。その時の状況に関わらず、自分の痛みや思い、信念を一度わきに置いて、周りの人の思いに寄り添う、ということだと思います。
 わたしたちは聖霊のお働きによって、イエス様がどのようにわたしたちを愛し、死んでくださったかを知っています。これを信じなければ、4・5節にあるように、罪と戦って血を流すまで抵抗することもできないまま、主の鍛錬を軽んじて「どうしてわたしがこんな目に遭うのか」とつぶやく事になるでしょう。十字架のお苦しみのさ中にも、愛を表してくださった主イエス様の忍耐をいただいて、それぞれの前に置かれた道をそれることなく、走り抜きましょう。
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