罪をすてて離れる

ヘブライ人への手紙11章23~31節

澤田 武師

主題聖句 『信仰によって、モーセは王の怒りを恐れず、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見ているようにして、耐え忍んでいたからです。』 ヘブライ人への手紙11章27節
 ヘブライ人への手紙の著者は、ユダヤ人なら誰でも、その生涯をよく知っている信仰者たちの名前を挙げて、それぞれが「信仰によって」どう生かされ、何を選びとっていったかを具体的に記します。信仰に生きた人々の傍らにも、目に見える恐れはありました。
 「モーセ」の生涯は、彼の両親の信仰によって始まりました。エジプトにおける唯一絶対の存在、自らを神と名乗るファラオが支配する世界にモーセは生まれました。人が作る絶対は「恐れ」と姿を変え、「恐れ」が世界を覆います。
 彼の両親は我が子の中に「美しさ」を見つけます。モーセの美しさは、両親を「神様に委ねる」信仰を選ぶ者へと変えました。神様はモーセの両親の信仰に応えて、エジプトの王女にモーセを託します。
 「信仰によって」モーセは出エジプトの困難な道を歩み続けます。出エジプトの出来事は、モーセが求めてやまないエジプトという罪からの解放を、それを拒むファラオの姿は、罪との戦いの激しさ、執拗さを表しています。
 私たちも初めて聖書を読んだ時、教会に来た時、洗礼を決意した時、既に「信仰によって」その後の歩みを選んでいます。
 招きの言葉、「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。」どれほど神様はモーセを愛されたか。モーセと共に居られることをどれほど望まれたかが分かるお言葉です。
 そして今手紙を読んでいる私たちも、現実の中に恐れを見ます。この手紙は、再び福音によって「信仰に生きる者」となることの勧めです。如何なる時代、如何なる恐れも超えて、信仰に生きるための励ましの言葉です。聖霊によって、私たち一人一人の心に、神様は語りかけてくださいます。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」イエス様を十字架にかけてまでも、私たちを「信仰に生きる者」に変えてくださっています。「罪をすてて離れる」信仰者として歩んでまいりましょう。
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