ただ一度身を献げられた

ヘブライ人への手紙9章15~28節

澤田 武師

主題聖句 「キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現われてくださるのです。」 ヘブライ人への手紙9章28節
 神様は預言者エレミヤを通して、「新しい契約」を立てることを約束されました。しかし、契約は約束だけでは効力を発揮しません。「契約」は「遺言」と違って、契約者の死がそれを有効にするのではなく、契約が「批准」されることによって法的拘束力を持ちます。この契約を有効なものとするために、神様はイエス様を十字架にかけて死に引き渡してまでも、神様自身が契約の批准者となられたのです。私たちの罪が贖われ、救いが完成したのです。
 手紙の著者は、「大祭司キリスト」とは「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。」(4:15)イエス様は、全き神様であられ、そして全き人であられたと、宣言しています。
 さらに15節「キリストが死んでくださった。」24節「キリストは神の御前に現われてくださった。」28節「キリストは、御自分を待望している人たちを負うために現われてくださる。」と、キリストを宣言しています。ただ一度十字架で死ぬためにイエス様は生まれ、私たちが神様の御前に受け入れられ、御許(みもと)に近づくことが許されるために、十字架で死なれました。
 イエス様が一度目に来られたのは、多くの人の罪を負うためです。罪からの救いを完成させるためでした。二度目に来られる時は、既に罪は完全に贖われていますから、贖罪の業の祝福が、十分に、永遠に、信仰者が享受することだけを目指されるのです。イエス様の死が、私たちの罪のための、完全な供え物であることがはっきりとわかります。
 私たちは宣言します。私たちの生活の根底を流れるイエス様の十字架の贖いと救いの喜びを証する者となることを。はっきりと私の言葉でキリストの祝福と恵みを伝えることができるようになることを。キリストの平和に生きる者として歩むことを。平和を実現する者として歩むことを。イエス様が再び来られる時まで、信仰者として従順に歩んで行くことを。
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