不信仰と不義

ローマの信徒への手紙1章18~23節

澤田 武師

主題聖句 「なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。」 ローマの信徒への手紙1章19節
 聖霊が降った時の様子が、使徒言行録には“激しい風が吹いて来るような音”、が聞こえ“炎のような舌”が一人一人に留まったと記されています。それは「聖霊降臨」を“見たままに、聞いたままに”精一杯書き表そうとした言葉です。
 パウロが回心した次第も、使徒言行録に記されています。ダマスコ途上で十字架の光に照らされたパウロは、目が見えなくなりました。さらに、彼はイエス様のお声も聞きました。イエス様は、今までパウロが見ようとしなかった、自分自身の罪を、暗闇として彼に現わされました。イエス様は十字架の光から、罪に対する「神の怒り」を示されたのです。
 「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。」パウロは、一人一人に神様の御心と祝福を与えるために降った聖霊を、受け入れないよう妨げる力が、罪であるといいます。神様はこの罪に向かって「怒り」を現されるのです。
 「聖霊降臨」は、多くの者の驚きと、戸惑いになりました。「あの人たちは、新しいブドウ酒に酔っているのだ」と嘲る者もいました。彼らはこの出来事を、酔っ払いの戯言として受け止めました。彼らの知恵がそう結論づけたのでしょう。時に人の知恵も、神様から私たちを引き離す罪となります。パウロは、人間は神様を知っていながら、それでも神を神と認めないところに罪があると言っています。
 神様は独り子イエス様の十字架の死「神の怒り」を自らに与えました。これによって罪からの救いの完成を示されました。神の怒りは、神様の愛の中にあることがここに示されています。
 聖霊が働くとは、神様を知りながらそれでも罪を犯し続けてしまう自分の存在に気づくことです。罪ある者として涙し、痛み苦しむ。
 しかし、神様は私たちの思いを超えて、愛を示してくださいます。自分の罪に泣く者にこそ、主イエスの御名は救いを得させる神の力となるのです。この喜びを知った者たちがここに集い、教会を立て上げています。
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