神の安息にあずかる

ヘブライ人への手紙4章1~11節

澤田直子師

主題聖句 「それで、安息日の休みが神の民に残されているのです。」 ヘブライ人への手紙4章9節
 「神の安息」という言葉が出てきます。創世記の天地創造では、神様は6日間で世界を創造され、「極めて良かった」と満足されて、7日目をご自身の安息の日に定められました。創世記2章2節『神は御自分の仕事を離れ、安息なさった』それで、第七の日を祝福し聖別されたとあります。神の安息とは祝福と聖別の時です。心を留めたいのは、第一から第六の日までは、それぞれの最後に「夕べがあり、朝があった」という言葉があるのですが、第七日だけはそれがないということです。これは、神の安息の日、祝福と聖別の時は今に至るまで続いているということを表します。「安息日」とは、仕事をしてはいけない日ではなく、神の祝福と聖別の日です。
 しかし多くの人は、この世界にある貧困や争いを見て、あるいは自分の心の内にある悩みや苦しみを見て、どこに祝福や安息があるのか、と思うでしょう。聖書はそれを「かたくなな心」と言い表します。神の安息は揺らぎませんが、わたしたちの心は揺らぎます。安息から離れていくのは世がそうさせるのではなく、わたしたち自身が神の御手から迷い出ることを選んでいるのです。
 「安息」は神に属するもので、かつて神殿の至聖所で香を焚いた祭司は、外で待つ民衆に祝福の祈りをしました。「あずかる」を漢字では「与」という字を使います。与えることと与かることは同じ祝福なのです。ペトロの手紙Ⅰの3:9『祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。』
 13節には「神の言葉は生きている」とあります。生きているとは、動くこと、変化することです。そして、この鋭さは、信仰者を導き、心の思いや考えを見分けます。「分ける」とは聖別です。人間は自分で自分を聖別することができません。しかし神の御言葉が、信仰者を祝福し聖別して、迎え入れ、遣わしてくださる、このことを信じて委ねることが信仰です。そして、この信仰が整えられ養われるために、わたしたちは礼拝に招かれているのです。
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