私たちに与えられた

イザヤ書9章1~5節

澤田 武師

主題聖句 「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。」 イザヤ書9章5節
 イザヤ預言の背景には、アッシリアに占領された人々が、強制移住や他民族との混血によって、ユダヤ人の独自性と誇りを失いかけている現実がありました。彼らはまさに「信仰のない闇の中に生きる者、希望のない死の陰の地に住む者」たちでした。神様は彼らに、イザヤを通してメッセージを与えられました。神様から与えられる光は深い喜びとなり、多いなる楽しみとなる。それはイスラエルの民の重荷をとりさり、すべての束縛から民を解き放ち、神様を信じる者たちが解放されるという、救いの預言でした。
 イザヤに託された神様からの希望は「ひとりのみどりごが、ひとりの男の子がすべての人を救う為に私たちに与えられた」という預言です。「わたしたちのために生まれた」「わたしたちに与えられた」「彼の肩にある」「唱えられる」。預言の言葉は、これらは既に完了したことを表しています。神様からの預言は必ず成就する、神様の約束は確実であることを示します。そしてこの預言は、約700年後にイエス様のお誕生によって成就します。
 イザヤは、託された預言の本当の意味を知ることはなかったでしょう。預言者の多くは、自らの預言の成就を見ないでこの世の働きを終えています。
 しかし、彼らは、神様から託されたお言葉は必ず成就すると信じました。イザヤも、「与えられた」神様のお言葉は必ず成就する、この一点に賭けて、預言者としての働きを成し遂げていったのではないでしょうか。
 私たちは信仰者であっても待つことが苦手です。今の時代は、待ち時間が少ないほど、結果がすぐに分かるほど、良いことと思われています。しかし預言の成就の時は神様にしかわかりません。それでも必ず成就する。だから信仰において、神様のお言葉を信じて待ち続ける時は、祝福の時なのです。私たちは今日、アドベントのメッセージとしてイザヤの預言を聞いています。この時代にも闇があります。そこに生きる私たちにも、イエス様は与えられました。
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