神に知られている

創世記40章1~8節・14~15節

澤田 武師

主題聖句 「ヨセフは、『解き明かしは神がなさることではありませんか。どうかわたしに話してみてください』と言った。 創世記40章8節b
 もし、ヨセフに信仰が無く、神様を信じていなければ、今は絶望の時でしかありません。しかし、聖書は「神様はヨセフと共に居られた。」と、神様の摂理がここにも表されたことを記しています。
 ヨセフは「神様に罪を犯すことができなかった。」彼が命に替えても守った信仰です。信仰を貫いた結果、投獄されるという「どん底」を彼は経験します。
 時を同じくしてファラオから信頼されていた宮廷の役人、給仕役と料理役も、それぞれの過ちの故に、王の裁きが下るまでの間、ヨセフが収監されている牢獄に、留置されています。彼らとヨセフは、互いに最悪の時に最悪の場所で出会いました。この出会が神様のご計画であることを、今は誰も知るはずはありません。神様はご計画を担う者たちを、ここに「集められ」ました。
 給仕役と料理役は夢を見ました。給仕役の夢を聞いたヨセフは、近々ファラオが彼を赦し、元の職へ戻すことを意味する夢だと解き明かします。そして「その時にわたしを思い出してください。」と、給仕役に願います。
 ルカによる福音書に、イエス様と共に十字架につけられた犯罪人の言葉が記されます。彼は「わたしを思い出してください」と、イエス様の隣の十字架の上から願います。その時、イエス様は「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」と言われました。犯罪人は人生の最後、この世の「どん底」十字架刑を執行されています。しかし、イエス様は一緒に楽園にいるとおっしゃってくださいました。
 共にどん底に降ってくださり、共に歩んでくださった。イエス様は信じる者を見捨てられません。もしかしたら、イエス様はこの犯罪人が、共に十字架に掛かることを既に知って居られたのではないでしょうか。
 イエス様にその最後を委ねた犯罪人は、その時救われました。「私たちの救いは神様がなさることではありませんか」と信じることは「どん底」をも楽園に変える信仰です。信仰に生きる者として歩みましょう。
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