救いの喜びをもって

詩編32編

澤田 武師

主題聖句 「あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもってわたしを囲んでくださる方。」 詩編32編7節
 詩編32編は、「悔い改めの詩編」とも呼ばれ、旧約の中で福音を語っている詩です。「悔い改める」とは、神様に罪をそのまま告白して、今までの生き方から方向を変えて、神様に向き直って生きることです。その結果が「いかに幸いなことでしょう。」この言葉は作者の信仰告白です。
 聖書は「罪」を深く記します。背きは、神様に逆らうこと。意訳をすれば神様を無視することです。罪は、神様を見失うこと、咎は、不義を働くと言う意味もあります。罪の呻きに身も心も苦しむ日々を作者は告白します。
 「わたしの罪を告白しよう。」罪を黙し続け、苦しんだ作者が、今、神様から背きを赦され、罪を覆っていただき、咎を数えられず、心の欺きを取りさられ、神様に祈る者、すべてを委ねる者へと変えられました。それはただちに喜びの告白となりました。
 神様は祈る者を、隠れ家に招き、周りを囲って守ってくださる。神様への信頼と、救いの確信が「大水が溢れ流れるときにも、その人に及ぶことは決してありません。」という宣言となります。旧約時代に生きた作者は、イエス様の十字架の死と復活を知ることは適いませんでした。しかし現代の私たちは、十字架を担われたイエス様のお姿を、詩編の中にも見出すことができます。
 イエス様が担われた十字架の重さこそ、罪の重さです。イエス様が全ての者の罪を引き受けてくださいました。罪ある者が、罪赦され神様に顔を向ける者となることが、適ったのです。
 作者は「いかに幸いなことでしょう」と、語り始め、「神に従う人よ、主によって喜び躍れ。すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。」と語り終えます。神の御前に罪赦されることは「喜び」であり、真に幸いなことの証しとなったのです。私たちも、信仰を告白し、洗礼を受けて罪に死に、新しく生まれ変わりました。私たちの信仰生活は、「新生」の喜びから始まっています。「新生」は「喜び」です。それは何ものにも変えがたい幸いです。
📢音声