ペヌエルと名付けた

創世記32章23~33節

澤田 武師

主題聖句 「ヤコブは、『わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている』と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。」 創世記32:31
 “ヤコブ”という名前は、双子の兄エサウの“かかと”をつかんで生まれてきたことから、母リベカが名付けました。母リベカに双子の兄弟が宿った時から、ヤコブと兄エサウとの駆け引きは始まっていました。彼の前半生は、“争う者”、“奪う者”と呼ばれてもおかしくないものでした。その結果、故郷を離れて“逃亡者”となります。彼の人生には、“争い”が絶えずありました。
 今、神様の御意志によって故郷へ帰ることは、彼が“神様を欺いた者”であったという事実ともう一度対面することを意味します。ヤコブは独りヤボクの渡しに残り、兄エサウに会う前に改めて、神様の臨在を求めます。
 その時、その人との格闘は夜明けまで続きました。“その人”は神様です。この格闘は神様のシナリオです。神様はヤコブの苦しみも悲しみも共にするために、ヤコブと同じ人の姿をとって、ヤコブに挑みました。神様はここまでもヤコブに寄り添ってこられました。この格闘には、初めから敗者は存在しませんでした。神様は、明け方が近づいたから終わりにしたいと、御自身に不利な状況を示されます。こうしてヤコブは格闘には勝利しました。
 過ぎ去ろうとしているその人を、ヤコブは、「祝福してくださるまでは離しません。」と叫び、足が動かなくなってもその手を離しませんでした。“神様に背いた者”から“神様の元へ戻ろうとする者”となる祝福を得るためです。
 神様が新たに命を与えてくださり、再び、歩み始めることが出来る。ヤコブはここを「ペヌエル」(神の顔)と名付けました。ヤコブの信仰の原点です。
ヤコブは足をひきずっていましたが、心には神様からの祝福を得た確信を抱き、先頭に立ってエサウの元へ向かいます。
 イエス様は『はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、わたしはある。』と語られました。ヤコブに救いの手を差し伸べてくださったのは、イエス様ではなかったでしょうか。私たちには、十字架を通して、はっきりとお姿を現してくださいました。私たちには、私たちの救い主“イエス様”のお名前が示されています。神の顔を仰ぎ、祝福を求める者となりましょう。
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