神の武具を身に着け

エフェソの信徒への手紙6章10~17節

澤田 武師

主題聖句 「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりない。」 エフェソの信徒への手紙6章10節
 この世に誕生したばかりのエフェソの教会が、この世の権威に飲み込まれないよう、信仰の戦いを戦いぬくことをパウロは命じます。
 パウロが示す武具は、当時のローマ兵の標準装備であったようです。ローマの強大な軍事力は、他民族の侵入を許さず、国内の反乱は直ちに鎮圧されて、平和な時代を作りました。しかし、それは支配されている者にとっては、“逆らうことが出来ない”、力の支配、見せかけの平和となっています。
「最後に言う。」手紙の結論に入ります。ここでのパウロの姿は、信仰の戦いを指揮する指揮官のようにも見えます。指揮官は最善の命令をもって、信仰の兵士たちに作戦を指示します。神様の平和を求める作戦を、パウロは命じます。
 パウロの作戦は、まず相手をよく知ることです。「悪魔の策略」これは罪のことです。罪は、ありとあらゆる手段を用いて、私たちに近づきます。罪は、私たちの弱さを知っています。必要としているものを知っています。闇を知っています。だから、そこに攻撃を仕掛けてくるのです。罪は手ごわい存在です。罪はまた誘惑にもなります。罪に対抗するには信仰の備えが必要です。
 信仰の戦いは、目に見えない敵を相手にするものです。「血肉を相手にしない」。パウロは戦うべき相手を記しています。この世を支配し、一人一人を支配しているもの。暗闇の支配者、悪の諸霊、とも呼んでいます。
 この世を覆う信仰の敵は、私たちの力だけでは到底対抗できません。兵士が戦いに備えて武具を整えるように、信仰者も、神から与えられた武具を着けて、それぞれの戦いに備えるよう命じられています。
 パウロは、本来は命を奪うための武器になぞらえて、人を生かすための信仰の武器として表しています。それは「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。」とあるように、弱いままで、全てを信頼して、この身に着けた時に、初めてその力が発揮されるものです。私は弱くとも、私の信仰が強くなります。ローマの兵隊の武具は、そのすべてに限界があり、いずれは壊れたりさび付いたりするでしょう。しかし、神の武具は永遠に変わりません。
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