時をよく用いなさい

エフェソの信徒への手紙5章15~20節

澤田直子師

主題聖句 「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。」 エフェソの信徒への手紙5章15節
 パウロがエフェソの教会に手紙を書いたのは、紀元61年ごろローマの獄中にある時だと考えられています。(使徒言行録23章参照)時のローマ皇帝は暴君ネロでした。パウロは紀元64年7月のローマの大火から始まった迫害で殉教したと言われます。
 ローマのような強大で豊かな国も、人間の過ちが重なって病んでいきました。パウロは2年間ローマに住んで、その予兆を感じていたのでしょう。ここでいう「愚か」と「賢い」は能力ではなく、その前の「闇」と「光」を言い換えている言葉です。神のご計画の中にいる「光の子」と神の御手から離れた「暗闇」を対比しています。
 「時」はギリシャ語のカイロスが使われています。これはジャストタイム、いまこの時、与えられた機会を示す言葉です。そして原文では「あなたの時」をよく用いなさい、となっています。世の騒ぎや不安に流されることなく、あなたの主の御声に耳を澄まし、心を開いて従いなさい、と勧めているのです。
 その具体的な方法が19節に書かれています。これはまさに礼拝です。礼拝とは、神様と信仰者との交流を儀式化したものです。本来は自由に神様に祈り賛美してよいのですが、教会には、これから信仰を持ちたい人も、信仰を持って日が浅い人も集います。あまりに自由だとどうしてよいかわからなくなります。それで、誰もが安心して参加できるように形式が整えられているのです。
 「あなたの時」は、よく言われるチャンスの神様には前髪しかない、というようなものではありません。そうだったら、わたしたちは随分スリリングな思いをしなければなりません。日々、小さな出来事の繰り返しの中で、気づいたり見過ごしたり、選んだり捨てたりしながら、わたしたちは信仰者として創り上げられて行くのです。「いつも」「あらゆること」に感謝して、神様が備えてくださる、わたしの、あなたの「時」を歩みましょう。
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