仕える者の恵み

エフェソの信徒への手紙3章1~13節

澤田直子師

主題聖句 「これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。」  エフェソ3章11節
 パウロは、エフェソの教会への手紙を、カイサリアに幽閉されている間に書いたと言われます。訪ねてくれた人に手紙を託して届けてもらう時代です。もしかしたら、今この時エフェソの教会は迫害されているかもしれない。その時には、ローマやユダヤ人を呪い恨むのではなく、自分パウロと同じようにキリスト・イエスに囚われた者と考えて誇らしく受け止めてほしい、とパウロは願います。
 聖書の「恵み」という言葉には、神から一方的に与えられるという法則性があります。パウロは、キリストに召され、使命を帯びて遣わされることを「恵み」と記します。この恵みは、世的には必ずしも利益には見えないのですが、試練を超えてあまりある喜びがあります。だからこそ、使徒たちも、後に続く信仰者も、あらゆる国と時代を通じて福音を宣べ伝えてきたのです。
 10節「いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知られるようになった。」教会が世に存在することによって、天の父なる神は、ご自分の愛の計画が進んでいることをご覧になり、喜ばれ、祝福されます。天と地の交流があり、恵みが与えられ、栄光をお返しする、教会は天と地のありようを実現する地の要です。自分が救われた喜びをゴールとしない、これはキリスト教の大きな特徴の一つです。わたしたちは、イエス様がそうであったように、隣り人に自分を明け渡し、神の救いの喜びを分かち合うことを求められています。
 人間が生きるとは、何かしらに仕えるということです。それは、パウロが言うように神から与えられた恵みです。仕えたから恵みが与えられるのではなく、仕えることそのものが、神のご計画に参与する恵みなのです。用いられる喜びを携えて、世に出て行きましょう。
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