まことの牧者

エゼキエル書34章11~16節

澤田直子師

主題聖句 「わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。」 エゼキエル書34章16節a
 主題聖句は、まさにイエス様の御業を表しています。そのため、この箇所を「クリスマス預言」として読むことができる、と考える研究者もいます。
 預言者エゼキエルは祭司の家に生まれました。しかし神殿祭司として働くことが許される30歳頃には、バビロン捕囚としてケバル川のほとりに住んでいました。そこで幻を見せられ、召命を受けて預言者として活動を始めたのです。
 34章の始まりは、国を治め導くべき人々が、その使命を果たさず、その権力を神に喜ばれる形で使わなかったことが述べられています。その結果として、故郷を遠く離れて捕囚として連れて来られた人々に対して、神は「わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。」と言われます。ここには、他に誰もいないというならば、というような強い意志が表れています。
 「雲と密雲の日」とは慣用句で、大きな災厄の中にあって先が見えない、希望が持てない様子を言い表す言葉です。そういう日に散らされる。これは故郷を追われる、ということもありますが、神様の御前から散らされることも含まれています。わたしたちも、いつそういう日に見舞われるかわかりません。新型コロナウイルスに散らされる教会が、この先出ないとは言い切れません。
 13~15節は、詩篇23編とつながります。わたしたちと神様の関係が、いつもこの羊飼いと羊のようなものであったなら、何の心配も不安もないでしょう。しかし人間は時に神様よりも自分の不安を凝視し、目先の勝ち負けに囚われて肝心なことを見失います。羊が迷うことに対して、神様には全く落ち度はありません。でも愛のゆえにその落ち度を引き受けてくださるのが神様です。まことの牧者に養いを求め、信じ、従いましょう。
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