神の住まいとなる

エフェソの信徒への手紙2章14~22節

澤田直子師

主題聖句 「キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」  エフェソの信徒への手紙2章22節
 6月は四重の福音を学ぶ月であると同時に、弾圧記念の月でもあります。戦争という異常な状況の中で逮捕・拘留された牧師、集会を禁じられ祈る場を失った信徒がいたことを覚えて祈りましょう。
 「聖化」という教義は、旧約聖書中にも何度も出てきます。神が全く聖いお方であるなら、信仰者も神に倣う者でありましょう、ということです。そのためには、今の自分の状態がどのようなものであるかを見つめなくてはなりません。自分を正しいと信じ、悪は正さなければ、滅ぼさなければ、という短絡的な思考は平和を傷つけます。自分の考えや言葉、行いを、常により高いお方の目に照らして見ないと、すぐに迷います。
 パウロはエフェソの信徒に書いた手紙で、何度も「キリストにおいて」「キリストによって」と繰り返します。キリストこそがわたしたちの平和だからです。「平和」シャロームは、ここでは「和解する」という動詞で考えます。神と人が、義と罪が和解するのです。人間の中にある、義を求める心と、罪にあらがえない悲しみがキリストによって統合されるのです。
 なぜ、わたしたちは、一つ所に集まって礼拝を捧げようとするのでしょうか?わたしたちは「わたし」という器を空にするために集うのです。時を捧げて教会堂に集い、祈りや賛美、献金のように目に見えるものを捧げることにより、目に見えないものも捧げて器が空になったことを、そこに神様の愛と慈しみが満ちたことを、皆で確認するのです。一籠のぶどうでは何もできませんが、数籠のぶどうを踏んで果汁からぶどう酒を造るように。空になるとは、虚ろになることではありません。空いたところに、神様の息が吹き込まれ、命の水が満たされて、満ち満ちて、世に遣わされて行くのです。御霊の実を携えて、出発しましょう。
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