飲むべき杯

ヨハネによる福音書18章1~11節

澤田直子師

主題聖句「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」 ヨハネによる福音書18章11節より
 18章は、それまでのイエス様の告別説教や祈りとは違って、現実世界の事になります。ユダが、ローマの軍隊を引き連れて来ます。そこに、いつもはローマと敵対している祭司やファリサイ派も加わり、皆が武装し、松明を持って乗り込んで来ました。
 イエス様がそこに進み出ていくとは、誰も予想していなかったでしょう。イエス様がお答えになった「わたしである」は、ヨハネの福音書には何度も出てくる「エゴーエイミー」です。これは、モーセが燃える柴の中から神の声を聞いて、神の名を尋ねた時に答えられた言葉と同じです。この言葉を聞いて、ローマ兵も祭司たちも「後ずさりして、地に倒れた」とあります。このことは、イエス様がまことに神の独り子であり、神の栄光を表すために自ら進み出て十字架に付けられる、ということを、弟子たちにはっきりと教えるための奇跡でありました。
 ペトロは剣をふるって、マルコスの右の耳を切り落としました。少なくとも弟子たちは、ただ怯えて立ちすくんでいただけではない、愚かではあったかもしれませんが、イエス様を守りたいと思っていたのだと知ると、少し心が温かくなる思いがします。ルカの福音書には、イエス様がマルコスの耳に触れて癒された、と書かれています。誰の痛みであっても、それはイエス様の痛みとなるのです。イエス様ご自身の痛みは、ほとんどいつも、わたしたちの痛みにはならないにもかかわらず、イエス様は痛む者と共に痛み、その傷を癒してくださいます。
 十字架は「父がお与えになった」杯でした。「飲むべきではないか」は、別訳では「飲まずにいられようか」。イエス様は、そうせずにはいられない思いで十字架に向かわれました。神様の愛はそれほど深かったのです。その愛に贖われたわたしたちも、天の父を仰いで、飲むべき杯を求めましょう。
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