ホサナと叫び

ヨハネによる福音書12章12~19節

澤田 武師

主題聖句 『ホサナも主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。』  ヨハネによる福音書12章13節 b
 共観福音書には、エルサレムに入城するために、イエス様が弟子たちに命じ たお言葉が記されています。一方ヨハネは、イエス様のお言葉の代わりに、イエス様と関りを持った人々の言葉を記しています。イエス様を迎える群衆は、「ホサナ」と喜び叫び続けます。しかし、四日後、イエス様の裁判で、彼らの 叫びは「十字架につけろ」と、正反対のものに変わってしまいます。
 ファリサイ派の人々は、群衆のホサナの声を聞き、「何をしても無駄だ」と言います。しかし、すぐ後に彼らは群衆を扇動して、イエス様に対する偽りの 証言を語らせます。そしてピラトにも十宇架刑の判決を迫り、実行させます。ピラトの判決の言葉にも虚しさがあります。彼らの言葉は、イエス様を十字架 に向かわせる言葉に変わりました。
 16節 「弟子たちは…分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたもの…イエスにしたということを思い出した」と、ヨハネは、弟子たちのこの後の様子を、説明文的表現で記しています。
 弟子たちは、イエス様が地上の王になることを夢見ていていましが、イエス様が逮捕された時、いち早く逃げてしまいます。しかしそれで終わったわけで はありません。弟子たちが復活の主と再会した時、イエス様の十字架を栄光と信じ、今までのことが聖書の預言であり、預言が成就したことを伝える者へと、変えられていきます。
 無言のイエス様の存在は、すでに十字架の死が始まっていることを示してい ます。まだ誰にも見えませんが、確かに十宇架はイエス様と共にあります。そ して、この後に誰にでも十字架は見える形で現わされます。イエス様の十宇架 の贖い、救いの恵みを信じるもの言葉は虚しくなりません。「ホサナ」(私たち に救いを)と 叫ぶ祈りの言葉は実現し、十字架の罪の贖いは、罪赦された者が 得る真の平和として私たちに与えられます。「ホサナ」そう祈れば、私たちは救われるのです。この言葉は変わることがありません。
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