その業を信じなさい

ヨハネによる福音書10章31~42節

澤田 武師

主題聖句 『そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。』
         ヨハネによる福音書10章38b節

 再び石を取り上げたユダヤ人に、「わたしは、父が与えてくださった多くの善い業をあなたたちに示した。その中のどの業のために、石で打ち殺そうとするのか」とイエス様は問います。
 ユダヤ人は「善い業のことで、石で打ち殺すのではない。神を冒涜したからだ。あなたは、人間なのに、自分を神としているからだ。」と答えます。
 この論争は「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理に満ちていた。」と、受肉されたイエス様の本質を証しするために記されたものです。
 神様によって創られた被造物には、神様のすべてを知る事はできません。イエス様は「父なる神様から遣わされた方」であり、「神様の独り子として神様のすべてを知っておられる方」です。神様への冒涜を指摘出来るお方はイエス様の他にはおられません。
 ユダヤ人には律法の教えは絶対です。しかし、自分たちに都合の良いように、自己の正当を示すために用いているのも律法です。ここにユダヤ人の間違いがあります。ユダヤ人は生まれながら目が見えなかった人の癒しを、最後まで神様の業としてイエス様が行った奇跡と認めることはできませんでした。
 「その業を信じなさい」ある人物を本当に分かるのは「言葉と業」とによってです。それゆえに、イエス様の業だけでなく、イエス様のお言葉の内に神様の創造的、贖罪的な力が働いていることを信じる者たちは、イエス様が父なる神様と一体であることを知ります。
 この世を創られた神様は、全てを支配されてもおられます。それ故にこの世で起こることは全て神様の業であると言えます。私たちが感謝する心をもってこの世を見た時に、日常の出来事の中に神様のお働きがあることに気付かされます。イエス様は、再びユダヤ人の元から逃れます。「民は受け入れなかった。」ここに事実があります。
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