あなたは見ている

ヨハネによる福音書9章35~41節 

澤田 武師

主題聖句 「イエスは言われた。『あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。』
         ヨハネによる福音書9章37節

 癒された事実を証詞し続けた結果、目が見えなかった人へのファリサイ派の判決は、会堂から追放するということでした。イエス様の癒しの奇跡により、生まれて初めて光を見ることができた彼の喜びは、すぐ元の闇の中に閉じ込められることになりました。当時のユダヤ社会では宗教と生活は一体です。会堂から追放されることは、彼が社会との交わりから断たれた生活に戻ることをも意味しています。しかしこの出来事によって「神の業がこの人に現われるためである」とのイエス様の約束は、成就する時を迎えます。
 「あなたは人の子を信じるか」、聞き覚えのある声に彼は驚いたと思います。しかし、その声の主(ぬし)の姿は、彼には分かりません。イエス様の呼びかけは、信仰の迫りです。それは彼にとっては突然であったとしても、イエス様のご計画では、彼の救いは既に備えられた事でした。
 「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」イエス様のお言葉は、彼の信仰の目をしっかりと開かせ、「主よ、信じます」と、彼を信仰告白へと導きました。彼はイエス様をハッキリと見つけました。 
 彼はユダヤで生きるすべを失う覚悟で、自分に起こった癒しを証し続けました。これまでの彼の生活は、与えてもらうことが全てでしたが、イエス様との出会いは、全てを捨てる覚悟を彼に与えました。彼は、何が一番大切なのかを見極めることができたのでした。
 ファリサイ派の「我々も見えないということか」との言葉に、イエス様は応答されます。彼らは知識を学び、確かに信仰熱心でした。しかし、目の前のイエス様の本質を見ることはできませんでした。自分たちの信仰の知識が、イエス様を遠ざけてしまいます。イエス様は、信じる者と信じない者とを分けます。「見ようとしない者」イエス様に裁かれた罪人の姿があります。
 私たちは聖書の中で、いつもイエス様と出会い、イエス様のお言葉を聞いています。聖書には一人一人が必要な時に、ふさわしい御言葉が備えられています。聖書の中に、イエス様のお姿をしっかりと見つめて行きましょう。
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