真理の言葉、偽りの言葉

ヨハネによる福音書8章39~47節

澤田直子師

主題聖句 『わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。』
        ヨハネによる福音書8章43節

 ユダヤ人は「自分たちはアブラハムの子孫だ」と訴えます。イエス様は、彼らにあなた方の行いによってあなた方の父が誰かわかる、と言われます。
 わたしたちの耳は大変良くできていて、自分が聞きたいと思う音を、たくさんの音の中から拾い出すことができます。イエス様はユダヤ人に「わたしの言葉を聞くことができない」と言われました。ユダヤ人は、別の声を拾っているので、イエス様の声は聞くことができなかったのです。
 ユダヤ人が聞いていたのは悪魔のささやきでした。自分の名誉・地位を守ろうとして、そのためにイエス様を殺そうとして、真理であるイエス様ではなく、悪魔の声を聞き、従おうとしていたのです。
 47節『神に属する者は神の言葉を聞く』有名な御言葉です。神に属することと神の声を聞くことは、車の両輪のようなもので、どちらか一方ということはありません。わたしたちが生きる世には、神の言葉以外のものがあふれています。わたしたちは、その中から神の言葉を聞きだしたいものです。旧約聖書列王記上19章にヒントがあります。命を狙われてホレブ山に逃げた預言者エリヤが、神の声に呼び出されて洞穴から出てくると、主が通り過ぎて行かれます。激しい風に山が裂け岩が砕けますが、そこには神はおられなかった。次に地震が起こり、火が燃え上がります。しかしそのどちらにも、神はおられませんでした。火の後に、静かにささやく声が聞こえた、と記されています。
 耳と心が騒動の中にある時、わたしたちは主の御声を聞くことができません。また、もっと恐ろしいのは、貸し与えられている御言葉を口にする時です。世界を創られた神の言葉には遠く及びませんが、わたしたちの言葉も力を持つのです。自分の思いを通そうとして、聖書を便利に使うようなことがあってはなりません。今、わたしの耳は真理の御言葉を聞いているか。わたしの口は真理の御言葉を話しているか。吟味しましょう。
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