神の時、人の時

ヨハネによる福音書7章1~9節

澤田直子師

主題聖句 「そこで、イエスは言われた。『わたしの時はまだ来ていない。
        しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。』」  ヨハネによる福音書7章6節

 仮庵祭はユダヤの三大祭の一つです。出エジプトで、荒れ野を40年さまよったことを記念して仮小屋を作るためこの名で呼ばれますが、その内容は、ぶどう酒・オリーブなどの収穫感謝のお祭りで、大変豊かで賑やかなお祭りでした。
 イエス様の肉の兄弟は、この祭りに上って行って自分の姿を示すようイエス様に勧めます。それに対してイエス様は「わたしの時はまだ来ていない。」と答えられます。イエス様にとっての「時」は十字架と復活でした。憐みのゆえに多くの病人を癒し、わずかな食物で大勢を養い、迷子の羊のような群衆に根気よく教えながらも、イエス様は、その一点を見据えて歩んでおられました。
 世に属する者たちは、何の心配もなくエルサレムに上り、祭りを楽しむことができます。しかしイエス様の世に属さない目をもって祭りを見たら、信仰の伴わない捧げもの、私腹を肥やす祭司、偉ぶる律法学者と、でたらめな、神に背を向けた浮かれ騒ぎであることが明らかです。そして、イエス様がなすべき仕事は、その世に属する者たちを救うということなのです。
 しかし聖書を読む者は知っています。イエス様の兄弟たちは、十字架と復活の後で、真にイエス様を信じ、伝える者に変えられています。そのおかげでエルサレムには多くの指導者が集い、伝道者が送り出されました。それはイエス様が御自分の時を正しく知り、待ち、用いられたからです。
 わたしたちにも、それぞれ「時」があります。しかしわたしたちは自分の「時」を正しく知ることができないし、待つことも苦手です。早く、今すぐ、お手軽に、という方向に流れがちですし、「最善がなされますように」と祈りつつ「どうせなら今すぐに」と願ったりします。委ねることの難しさを思います。神の時を待ち望むなら、神様に全てをお任せしましょう。
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