永遠の命の言葉

ヨハネによる福音書6章60~71節

澤田 武師

主題聖句 「シモン・ペトロはが答えた。『主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。
        あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。」   ヨハネによる福音書6章68節

 カファルナウムの会堂で語られたイエス様のお言葉は、ユダヤ人たちには到底受け入れらない内容でした。お言葉は彼らの間で激しい議論となりました。ユダヤ人は、イエス様のお言葉を通して神様の御心を聞く、ということを拒否したのです。彼らの心がイエス様から離れてしまったことをも意味しています。
 その時、一緒に聞いていた弟子たちの多くの者も、「実にひどい話だ。こんな話を聞いていられようか」と思いました。彼らの心の中ではお言葉から「つぶやき」が生まれたことも記されています。
 「ひどい」と訳されているギリシャ語は「スクレ―ロス」という言葉で、本来は「受け入れがたい」「がまんするのも困難だ」という意味を持っています。話されたイエス様の存在すらも否定する思いとなり、彼らの「つぶやき」は、「つまずき」を生み出しました。その結果、イエス様の元を多くの弟子たちが「離れ去った」と記されています。
 その場に残った12人の弟子たちに「あなたがたも離れて行きたいのか」と、イエス様は迫ります。弟子たち一人一人の思いをはっきりさせるための迫りです。
 「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。」ペトロの応答は弟子たちの信仰告白です。今までも見聞きし、信じ従って来た。その全てが、目の前に居られるイエス様のお姿そのものである。この方以外の誰に従っていくのか、イエス様こそ、これからもご一緒に歩んで行くお方である、との告白です。
 残った弟子たちは、神様の御心としてイエス様のお言葉を聞くことができました。彼らはお言葉に捕らえられています。ここに、お言葉に生かされている者たちの姿があります。コリントの信徒への手紙一1:18「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」。イエス様のお言葉を、滅んでゆく者の耳で「ひどい話」と聞くのか、救われた者の耳で「永遠の命の言葉」として聞くのかと、私たちは絶えず問われ続けています。それは、信仰を続けるのか、ここで終わるのかとの、私たちへの迫りでもあります。
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