これはわたしの体である

マタイによる福音書26章26~30節
澤田 武師

主題聖句 「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、
        弟子たちに与えながら言われた。『取って食べなさい。これはわたしの体である。』」 26節

 イエス様は過越しの食事の作法に従い、「パンを取って食べよ」と命じます。そして「これはわたしの体である」とのお言葉を付け加えられました。ここに新たな解放の宣言があります。イエス様は過越しのパンが、エジプトでの苦難からの解放を意味していることをさらに深め、人々の罪からの解放を示されました。それこそが、あなたの罪のために十字架で裂かれるわたしの体であると。この体をあなたに与えると言われます。それ以外に罪からの解放はあり得ない。ここに罪の赦し、真実の救いがあります。
 過越しの食事ではぶどう酒の入った4杯の杯を飲みます。これは奴隷時代、「重労働からの解放、贖い、救い、あなたたちの神となる」との、神様の4つの約束を意味します。「杯を取り、感謝の祈りを唱え」、これは3杯目の杯です。
 「これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」イエス様が付け加えてくださった約束です。過越しの夜、イスラエル人の家の鴨居と柱に塗られた小羊の血が、民を守りました。神様とイスラエルの民との間の約束です。しかし、イエス様は十字架で流されるわたしの血こそが、神様と人々の新しい契約であると宣言されました。イエス様が生き、そして死ぬことによってあなた方と神様の間に新しい関係が生まれ、契約が結ばれることを宣言されました。新しい契約、ここに福音があります。
 「わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」このお言葉は、イエス様が今どこを見ておられるかを示しています。イエス様は目の前に迫った十字架を見つめながら、最初の聖餐を行いました。罪からの解放、救いの新しい契約、それは十字架に架けられたイエス様のお体と血によって備えられるものである。そして、十字架の先にある神の国、父の国で弟子たちと共に歩むことを見ておられました。
 イエス様は過越しの食事を、新しい契約に変えてくださいました。聖餐はパンとぶどう液を、イエス様のお体と血を象徴するものとしていただきます。罪赦された者の幸いと、新しい契約を与えてくださった神様への感謝の時です。
📢音声