渇きを潤す

ヨハネによる福音書4章16~26節

澤田 武師

主題聖句 「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」 24節
 ヨハネは10節~26節に、イエス様とサマリアの女性との間に交わされた言葉だけを記しています。それは読者に、話された言葉にのみに集中して、私たちも一緒に立ち会っているような緊張感を与えることを意図して書かれたと思います。イエス様が女性に問いかけた言葉を、私への問いかけとして聞く、それはこの記事を読むたびにサマリアの女性が救われた事実を、私の救いとして追体験することです。イエス様が私に何を求めておられるのかを、繰り返し知ることを、ヨハネは私たちに求めていると思います。
 「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」イエス様の問いは、サマリアの女性に「わたしには夫はいません」との現実を告白させます。「あなたは、ありのままを言っただけだ。」イエス様の応答は女性の過去、現在を否定せず、裁きの言葉でもありません。女性が今連れ添っているのは夫ではない事実を全てご存じであって、そのために渇きを覚える女性にかけられたイエス様の優しさを感じられます。
 女性は赦しを求めてイエス様に迫ります。「婦人よ、わたしを信じなさい」。このお言葉の中に女性が求めていた答えは全てあります。イエス様は神様を礼拝する場所を整えてくだる、その時が来ることを示してくださいました。
 「霊と真理をもって礼拝する」とイエス様は繰り返されます。とても大切な事です。「霊」とは、言い換えれば「こころを込めて」という意味です。形式や儀式、外見だけでなく、そこに神様に真剣に祈る心を、献げる礼拝を現しています。「真理」とは、イエス様の十字架は神様と直接に出会う道を、イエス様を信じる者すべての者に開いてくださいました。そのイエス様を通して献げられる礼拝です。ここに「その水をください」との女性の最初の祈りの答え、赦され者への救いが与えられる約束があることが示されています。
 イエス様は今はっきりとサマリアの女性に話されました。サマリアの女性の渇きは潤されました。彼女は命の水を与えられている喜びに気付かされました。目の前にいるイエス様に気付かされました。
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