来なさい。そうすれば分かる

ヨハネによる福音書1章35~42節

澤田 武師

主題聖句 「そして、シモンをイエスのところへ連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ―『岩』と言う意味―と呼ぶことにする』と言われた。 1章42節
 洗礼者ヨハネは、イエス様を見つけると指さし、「見よ、神の小羊だ」と自分の弟子たちに「語り」、「聞かせ」、イエス様に「従わせ」ました。彼は「後から来られる方」が本当のメシアであることを確信し、弟子でさえもイエス様に委ねました。それは、彼が自分の働きが終わったことを自覚しての行動です。
 この流れは、洗礼を受けようと思う者が歩む道順と同じではないでしょうか。受洗を決める。そこには信仰的に信頼できる人の言葉があります。聞く耳が備えられました。そして一歩進む勇気が与えられました。この方々が教会を形成します。神様との新しい関係に入られます。
 イエス様は振り返られ、先に「何を求めているのか」と声をかけてくださいました。神様はいつも先に「何を」と声をかけてくださる。神様は私たちとの新しい関係を求めておられます。
 「泊まる」と訳されている言葉は、元々「留まる」という意味の言葉です。「わたしにつながっていなさい」(ヨハネ15:4)告別説教で語られた「つながる」と同じ意味の言葉です。この言葉は決してひと時の状態を表わしている言葉ではありません。弟子たちはイエス様のところへ行き、そしてこの方に「留まろう」と決心しました。
 イエス様は「来なさい。」ただ従えば全ては分かると語られます。イエス様は私たちをも弟子として、近くに留めようと招いてくださいます。
 イエス様との出会いはその後の生き方を変えます。アンデレはまず、兄弟シモンの所へ行きました。その時初めて、他人にイエス様を語らずにはいられない自分を発見することになります。ここにもイエス様との新しい関係に生きる者が生まれました。「主なる神はこう言われる。『見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。』」(エゼキエル34:11)。イエス様と共に歩む者たちが、新しい歩みを始めました。新しい関係が始まりました。