限りなく豊かな恵み

エフェソの信徒への手紙2章1~10節

澤田直子師

 パウロは、わたしたちを闇から光へ移される者として呼びかけます。「過ちと罪のために死んでいた」この死は肉体の死ではなく、霊的な死、神との断絶を指します。罪とは行動の良し悪しや、誰しも心の中には悪い考えがあるというようなことよりもむしろ、自己の偶像化、自分は正しい、自分の考えが実現することが正しいと思い込むことです。神様は「愛する神」「裁く神」です。わたしたちは、神の目から見て裁かれる者であることは当然ですが、しかし神はそれ以上に、私たちを豊かに憐れんでくださいます。豊かとは必要以上にあるということです。私たちが受けてしかるべき憐れみの上限をはるかに超えて神は私たちを憐れんでくださっています。
 5節 「あなたがたの救われたのは恵みによるのです」 信仰義認です。ギリシャ語では、すでに救いは完成して今も未来も続く、というような意味を含んでいます。極端な言い方をすれば、信じる者は救われるのではなく、既に救われたことを信じるのです。
 肉体の命には限りがありますが、クリスチャンは皆天国を信じ、そこで懐かしい人々と再会し、愛する主にお会いすることを信じます。なぜ、誰も行って帰って来たことのない場所を信じるのか?それは、イエス様が十字架で死んで復活なさったからです。神様に誠実に従うならば、たとえ死を通っても、神と断絶するようなことは決して起こらない。呼び求めても答えが得られないような惨めなことは絶対にない。これが、神様からいただく永遠の命、新しく生まれるということです。
 新しく生まれるためには死なねばなりません。それはかつて神との断絶の中にうなだれていた惨めな自分を知ることです。自分の力の限界を知り、その先は神に委ねて明け渡すことです。イエス・キリストを信じる者は、罪の自分に死に、キリストの命に生きることを日々繰り返していくのです。全知全能の神が私たちを御目に留め、限りなく豊かに憐れんでくださいます。イエス様に結ばれて新しい命を生き、豊かに実を結びましょう。