何をためらうか

使徒言行録22章6~16節

澤田直子師

 パウロはイエス・キリストに出会って回心した過去の姿について語ります。若い日、パウロは高名な師の元で、誰よりも熱心に律法を研究し実践しました。優秀な、将来を嘱望された律法学者でした。しかし、その心の奥底には、「律法では救われないのではないか」という不安と恐れがあったのではないでしょうか。だからこそ、生き生きと喜んで教会に集うキリスト者の姿に憤りを感じ、迫害したのではないでしょうか。
 パウロは真面目で熱心で頭が良い。実行力もある。しかし残念なことには、正しい道、真理の道が見えていない。一生懸命に平和を求めているが、平和を造りだす者になれずに苛立っている。神様は、そんな姿を見て、何とかしてパウロを救いたいと、イエス様を遣わしたのです。
 パウロの目が見えず、飲み食いもできなかった3日間の間に、神様はダマスコのアナニアに現れて、パウロを助けるように、とお言葉をかけます。
アナニアは、パウロがどのような人物か知っていました。噂を聞いて恐れていたかもしれません。それでも神様に従うことを選びました。
 22章16節 『今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。』
 アナニア自身が、パウロを迎え入れ、手を置くことに、ためらいがありました。しかし恐れを超えて主に従ったからこそ、回心し目が開かれたパウロに「何をためらっているのです。」と言えたのだと思います。神様が、わたしたち弱く貧しい人間をお用いになる理由がそこにあります。
 申命記7章6節には 『主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。』 とあります。
 弱い者が、ためらった経験のある者が、それでも従った者が言うから、そこに力が、励ましがあるのです。わたしたちは、自分の弱さや貧しさを理由にして、主に従うにためらいを持つことのないようにしましょう。招いてくださったお方が、必要を満たしてくださいます。