聖霊に促されて

使徒言行録20章13~24節

澤田 武師

主題聖句 『そして今、わたしは“霊”に促されてエルサレムに行きます。」 20章22節
 パウロはエルサレム教会のユダヤ人クリスチャンを安心させるために、五旬祭に間に合うようエルサレムへと旅を急ぎます。それは、パウロが最も愛したエフェソの教会を再び訪問することを諦めることになります。さらに、エルサレムで待っているのは「投獄と苦難」。これら全ては「聖霊」によって既に示されていることでした。
 パウロはミレトスから人を使わしてエフェソの長老たちを呼び寄せます。愛するエフェソの長老たちへの語りかけは、告別の説教となりました。
 パウロはその宣教の最初から「全く取るに足りない者」と思い続けていたと語ります。この言葉はパウロが「謙遜な者」として歩み続けていた証詞です。「神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰」を、どのような時でも述べ伝えることは、迫害する者や陰謀をたくらむ者との出会いであるとも言えます。それは「涙を流しながら」の歩みであったことを証詞します。しかしパウロは、涙と試練の中でも、「一つ残らず・力強く」述べ伝えましたと語ります。この姿勢こそが唯一パウロが証詞する、「主に仕えてきた」者の姿です。そして、私たちもパウロと同じ証詞をすることです。
 パウロは続けて「エルサレムで何が起こるか分りません。」と語ります。あえて「投獄と苦難」が神の御旨であっても、今その意味を知ることが出来なくても、それでも「聖霊」によって促されている道を、主に仕えるために進んで行こうとします。それが「自分の決められた道であり、力強く証詞するという任務を果たす」事であると語ります。
 聖霊の迫り、それはわたしの思いを圧倒するものです。今、聖霊はパウロに迫ります。使命を果たすためにエルサレムへと向かわせます。聖霊の迫りにより、ある者は人種差別を訴え、ある者は死にゆく者と寄り添い、ある者は戦争で敵国だった民のために伝道者となりました。多くの方々がその生き方を変えています。変えられています。聖霊の迫りは、人を大きく変えます。その歩みを大きく変えます。わたしたちが本当に向かわなければならない場所、そこに向かいましょう。