すべては神の御手の内

使徒言行録8章1~4節

佐々木良子牧師

 人生は自分の思いとは関係なく、神の定めと御計画の中で生かされている事を信仰者は体験させて頂いています。人間の常識、経験を超えた所で神の御計画が実現し、全ては神の御手の内にあることを知っている人は幸いです。
 本日の箇所は、ステファノが殉教したその日からエルサレム教会への迫害が始まった事が記されています。ステファノは殺され、教会が迫害されるという恐ろしい事件が次々と起こり、この世的な思いで見るならば悲惨な出来事でしかありません。しかし、それも神の御計画でした。人は自分の内側と目前の出来事しか見る事ができませんが、神側の思いに目を転じるなら想像する事もできない無限大の世界へと導かれ、そこで神と出会う事となります。
 「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリア全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(1:8)と、主イエスが仰せになった事が、迫害というような思いもよらない方法で実現し始めたのです。「・・・ユダヤとサマリアの地方に散って行った。」「さて、散っていた人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。」(2,4節)迫害されたキリスト者たちはエルサレムに留まることが不可能となり散らされていきました。しかし行く先々で福音が宣べ伝えられ、その結果、福音が地の果てにまで広められ、主イエスが仰せになったことが実現していきました。
 主イエスは今も生きておられ、その御業は人間側の状況に拘らず前進していくのです。神の御心による苦難なら苦難では決して終わりません。イエス・キリストの苦難が最たるものです。十字架は敗北であったかのように見えますが、その先に復活という勝利があったように、苦難の向こうに神の栄光があります。神がなさろうとしていること、その御計画遂行のために私たちが用いられて実現されていきます。
 「わたしの思いはあなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる・・・わたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす」(イザヤ55:8~11)到底受け入れられないような現実であったとしても、全ては神の御手の内に入られています。そうして最終的には神の御言葉こそが実現していく勝利の世界に身を置かせて頂いている私たちです。」