多くのしるしと不思議な業

使徒言行録5章12~16節

佐々木良子牧師

 旧約の神は裁きの神で新約の神は愛なる神だとよく言われますが、神は古の昔から変わることなく愛なるお方であると同時に、罪をそのままにはしておかれません。神の愛と共に常に神への畏敬の念を持つ人は幸いです。アナニアとサヒィラは神の前に偽り制裁を受ける事となり、「教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。」(11節)とあります。世の人々は神とは恐ろしい存在であると思った事でしょう。更に「使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。」((12節)と、御言葉の宣教と共に多くのしるしと不思議な業が行われており、教会とは謎の群と映った事と思われます。
 そのような中でも神に対して畏敬の念を持ちつつ、自分を造り変えてくださる神の御力によって生きる人々の群が大きくなっていき、教会が建て上げられてきました(13~14節)。その業は今も受け継がれていますが、いつの世もこの恵みを受け取ることを拒む人が存在する事も事実です(13節)。教会の門戸を叩く方は少数で、更にせっかくおいでになっても去る方も多くおられます。この現状に時には失望しますが、教会の目的は教会を大きくする事でも人を増やす為ではありません。教会の主であるイエス・キリストの仰せになった事、行った事を継承し、その結果恵みの中に入れられる人がいて大きくなっていくのです。教会は神の愛だけが語られる訳ではなく、時には神に打たれる時もありますから、この世的には決して居心地の良い場でない時もあります。しかしそうして人は造り変えられながら真の意味での安らぎを見出して行く場です。
 「だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らの証しとして足についた埃を払い落しなさい。12人は出かけて行き…至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。」(ルカ9:7~8)「主イエスは受け入れて頂けない時はそれでよいと仰せになりました。為すべき事をしてだめなら、毅然と誇り高く立ち去ればよいと。その伝道は失敗したのではありません。
 福音を受け入れて頂こうと、教会の本質を曲げてこの世に合せるような事があってはならないのです。たとえ仲間に加わろうとしない人々があっても(13節)、神はその御業を着々と進めておられ教会は教会として存在し続けていきます。それが神の力です。「…しかし、民衆は彼らを称賛していた。そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。」(13~14節)

使徒言行録5章12~16節

佐々木良子牧師
 旧約の神は裁きの神で新約の神は愛なる神だとよく言われますが、神は古の昔から変わることなく愛なるお方であると同時に、罪をそのままにはしておかれません。神の愛と共に常に神への畏敬の念を持つ人は幸いです。アナニアとサヒィラは神の前に偽り制裁を受ける事となり、「教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。」(11節)とあります。世の人々は神とは恐ろしい存在であると思った事でしょう。更に「使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。」(12節)と、御言葉の宣教と共に多くのしるしと不思議な業が行われており、教会とは謎の群と映った事と思われます。
 そのような中でも神に対して畏敬の念を持ちつつ、自分を造り変えてくださる神の御力によって生きる人々の群が大きくなっていき、教会が建て上げられてきました(13~14節)。その業は今も受け継がれていますが、いつの世もこの恵みを受け取ることを拒む人が存在する事も事実です(13節)。教会の門戸を叩く方は少数で、更にせっかくおいでになっても去る方も多くおられます。この現状に時には失望しますが、教会の目的は教会を大きくする事でも人を増やす為ではありません。教会の主であるイエス・キリストの仰せになった事、行った事を継承し、その結果恵みの中に入れられる人がいて大きくなっていくのです。教会は神の愛だけが語られる訳ではなく、時には神に打たれる時もありますから、この世的には決して居心地の良い場でない時もあります。しかしそうして人は造り変えられながら真の意味での安らぎを見出して行く場です。
 「だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らの証しとして足についた埃を払い落しなさい。12人は出かけて行き…至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。」(ルカ9:7~8) 主イエスは受け入れて頂けない時はそれでよいと仰せになりました。為すべき事をしてだめなら、毅然と誇り高く立ち去ればよいと。その伝道は失敗したのではありません。
 福音を受け入れて頂こうと、教会の本質を曲げてこの世に合せるような事があってはならないのです。たとえ仲間に加わろうとしない人々があっても(13節)、神はその御業を着々と進めておられ教会は教会として存在し続けていきます。それが神の力です。「…しかし、民衆は彼らを称賛していた。そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。」(13~14節)