心も思いも一つ

使徒言行録4章32~37節

佐々木良子牧師

 「一人ぼっちのクリスチャンはいない」と、私たちが属しているホーリネスの群の源流であるジョン・ウエスレーという人は語りましたが、正にその姿が本日の箇所に記されています。初代教会の特徴は大きく分けて、1,心も思いも一つ(32節) 2,財産や持ち物を献げ(32節) 3,主イエスの復活を証し(33節) 4,貧しい人たちへの配慮(34節)がありました。
 心も思いも一つになるとは、皆で仲よくうまくやって与えられるものではなく信仰によるもので、それが信仰共同体としての教会の姿です。教会はイエス・キリストを信じた人々の群を指し、十字架と復活を自分との関わりの中で受け止め、主イエスの導きに心から感謝して従っていく人々の群です。そしてクリスチャンになるとは洗礼を受けてキリストに結ばれるだけではなく、神の家族としての仲間に入り、共に祈り支えられながら天国を目指して歩んでいきますから、一人ぼっちのクリスチャンはいないという事です。
 ドイツ・バイエルンの農村の教会に35年務めたヴィルヘルム・レーエという牧師は「この地域の人々は、たとえ、立派に生きることができなかったとしても、立派に死ぬことを心得ておりました」と語ったそうです。死を迎える仲間を孤独にせず、その魂の配慮に生きることが、教会の群がするべきこと、キリスト者であれば、誰もがすべきことであると言います。クリスチャンの最期は、皆が心を合わせて神の御言葉をお聞きし、祈り賛美して天国へ旅立ちます。教会だからこそできる慰めと恵みと希望です。皆が一つ思いとなって主なる神を仰ぎ感謝し恵みを頂く究極の時といえます。
 誰もが立派に生きる事などできないものです。又、成功する人、挫折する人、様々な人生があります。しかし、教会に生きる者として最期を迎える道を弁えているという事は共通です。内村鑑三の愛娘ルツ子姉は19歳で天国へ凱旋しました。最期に「もう行きます」と終え、埋葬の際に内村は「バンザイ」と言ったと言われています。立派に死に、立派に送った者の姿と言えます。
 正に教会での葬儀とは立派に死んで行く人と立派に送る人が一つとなる時です。人間の力ではなく神の力が支配する所に人間の思いを超えた一致を体験させて頂きつつ、尚、心も思いも一つとなって歩んでいく恵みが教会にあります。そうして一人一人の心に神の愛が染み渡り、整えられていきます。