鷲のように翼を張って上る

イザヤ書40章28~31節

佐々木良子牧師

 「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく歩いても疲れない。」(31節)今年、小松川教会に与えられた御言葉です。神の導きに全き信頼と期待を寄せるなら、たとえ絶望の中にあったとしても、神から人の思いを超えた喜びと希望の力が必ず与えられ、鷲の如く空を舞い上がる事ができる、という力強い神の約束です。
 40章からはバビロンに捕われの身となっていたイスラエルの民への解放のメッセージです。ヘンデルが作曲したオラトリオの「メサイヤ」は「慰めよ、慰めよ、わたしの民を」(40:1)から始まり、来るべき救い主の力強い豊かな恵みと羊飼いが羊を守るように私たちを導いてくださると、メサイヤの中でも最も優雅な心打つ旋律で歌われています(10~12節)。労苦は終わり咎は贖いの故に帳消しになったという慰めの宣言が与えられていますが、彼らは自分達のことを、神に忘れられ、訴えを無視しておられると素直に喜べませんでした。
 そこで「主に望みをおく」者への希望の約束を述べられています。人間の限界に対して、神の無限の愛、知恵、力が対比して語られています。「若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが・・・」(30節)力に満ちた者の代名詞である若者でさえ限界はあります。しかし、「あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神、地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく、その英知は極め難い」(28節)と神の無限を示し、この神を待ち望むように励ましています。
 「主に望みをおく」とは、自分を含めて人間には力はないと徹底して認めることです。アブラハムを導き、イサクやヤコブの困難を導いた神が私の現実に生きる道を開くために、私はあなたの立っているその場所にいる、と語っておられる神に私たちは完全に依り頼むのです。神は御業を中途で断念し放棄したりされません。直ちに応えが与えられない事もありますが、様々な事に一喜一憂せず、主の最善と全能を信じ期待しながら喜んで待つことです(詩46:9)。
 そうして「鷲のように翼を張って上る。」と神の力が与えられます。鷲は逆風を翼に当ててエネルギーとして高く大空に舞い上がります。飛行機も同じで追い風では飛ぶ事はできず、逆風を利用して飛び立っていきます。神に望みを置き人生の逆風を力として頂き、鷲の如く世界へと羽ばたく年でありたいです。