目を覚ましていなさい

マルコによる福音書13章32~37節

 佐々木良子牧師

 この世の終りの前兆について主イエスはこれまで語ってこられました(13:5~23節)。更にいつ起こるかは「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」(32節)と、一連の終末の出来事を締めくくっています。神の御子である主イエスですら世の終りについてご存知ないのですから、私達人間は尚更の事知る必要はありません。終末がいつ起こるのかという事に気を取られるよりも重要な事は「気をつけて、目を覚ましていなさい。」と警告しております(33節)。終末という時に捉われる事なく、足を前へ前へ出していく事の方が大切です。「気をつける」とはもともと「見る」という意味で、主イエスから目を離さないでいること、見続ける事です。もう一つ大切な事は「目を覚ましている」ことです。主イエスは「旅に立つ家の主人」のたとえを用いて具体的にどういう事かを教えておられます。
 主イエスは復活後、天の父なる神の元に帰られる時、私達に「・・・僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ・・・」(34節)旅に出られたようなものだと譬えております。私達に主イエスご自身の仕事を割り当てられ、しかも「責任を持たせて」とあります。罪にまみれ不信仰な私達を信頼して任せてくださっております。このように期待されてこの地上で生かされているのです。与えられている仕事は皆同じではなく必要な賜物が与えられており、それぞれが見出していくものです。人と比べる必要はなく、主イエスを見続けているなら必ず示され、神の御栄光を現すものとさせて頂けます。それぞれの立場で精一杯勤め、再び主イエスがおいになった時「善且つ忠なる僕、良くやった」とお声をかけてくださるでしょう。しかし、託された仕事に精一杯になる余りに、仕事が生きる目的となってしまってはなりません。何よりも主イエスと再びお目にかかれる事が人生の最大の希望で目的である事を忘れてはなりません。
 「あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ、目を覚ましていなさい」(37節)と、神は全世界の人々が主イエスの再臨を待ち望むようにと願っております。今、置かれている場で、与えられた事に感謝しつつ忠実に励んでいるなら、その背中で神の御栄光を現し伝道している事となります。神を知らない人々が「あの人のようになりたい」と、目覚めさせる事ができるのが本物の信仰者といえるのではないでしょうか。そのような者でありたいです。