天使のようになる

マルコによる福音書12章18~27節

 キリスト者はこの世で命を終えた後、イエス・キリストが復活されたように復活の新しい命を頂き、天国において永遠に生きるという約束が聖書の色々な箇所に記されています。そこで私たちは様々な想像をして、結局は自分の都合の良いように、身勝手な考えをするものですが、死後の存在とその命はどのようなものかというと解明はできません。
 当時、ファリサイ派とサドカイ派と呼ばれる人々の間で、復活はあるかないか、死後の世界はあるかないか、という論争がなされていました。そのような状況でサドカイ派に属する人々が、この世の知恵で都合の良いように、自分達の正しさを証明しようとしていました。
 「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活のときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ」(24~25節)と、主イエスははっきりと宣言されました。「天使のようになる」とは、この世において罪ある私たちが、死後には罪なき存在となり、神に最も近く仕える者になるという事です。このようにこの世での有様とは全く違った、かつて経験した事も、想像もつかないような新しい者にして頂けるのです。姿も性格も生き様も全て肉体の死において終わります。このように天国での新しい命は、この世と決別して全く新たに「天使のように」されますが、神の恵みと慈しみはこの世から天国まで永遠に変わる事なく、私たちを愛し続けてくださいます。
 「・・・わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。・・・」(26~27節)旧約聖書に記されている信仰の先達者は既に肉体的には死んで葬られましたが、神はその人々にも今も尚、私たちと同様に働き続けておられます。生きている時も死んだ後も父なる神は変わらずに、私たち一人一人と共におられ愛し続けてくださっております。ですから死後の事をあれこれ想像したり、悩む必要もありません。永遠に変わる事なく生きて働いておられる神を信頼し、私たちの思いを超えた所の復活の命を与えてくださるイエス・キリストにお委ねしていけば良いのです。やがてこの命を全うし、神に招かれ天使のようにさせて頂けるという宣言がなされている事は身に余るほどの光栄です。