分ければ分けるほど豊かになる

マルコによる福音書6章30~44節

 主イエスは弟子達が持っている僅かな5つのパンと2匹の魚を用いて、奇跡を行われました。彼らの手元にあったものは乏しいものでしたが、主イエスは敢えて「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」(37節)と仰せられました。現実をみるなら不可能な話です。しかし、彼ら自らの手で目の前のお腹をすかした5千人の人々の必要を満たし、更に12の寵いっぱいに残ったほどだと記されています(41~44節)。主のご栄光を現す為に、彼らは乏しかったからこそ主イエスは用いたのです。
 「パンは幾つあるのか。見て来なさい。・・・弟子たちは確かめて来て言った。五つあります。それに魚が二匹です。」(38節)主イエスはまず弟子達が持っている物を確認させました。彼らは僅かなものしか手元になく、自分達では到底どうする事もできない現実を目の当たりにしました。しかし、弟子達は何も持っていなかったのではなく、極々僅かな物は持っていました。人間の乏しい現実を、憐れみをもって豊かに用いて御業を行ってくださるのが神です。そうして主イエスが全ての人々を見渡せるように座らせて(39~40節)、「五つのパンと魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。」(41節)と、その場にいた全ての人達に、主イエスの恵みを彼らの手で手渡した事が記されています。主イエスの恵みは、私達自身の手で人々に配る時に大きな恵みへと拡大していきます。
 この奇跡の直前に主イエスは「…大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ…」(34節)と、神の御手から迷い出て荒れ野をさまよっている子羊のような人間に対して、ご自身の腹わたが痛むほど同情してくださっています。「あなたの必要はいつも私の前にある。いつも養う用意がある」と、キリストの目の前にある人間を慈しみ、助けの御手を差し出しておられます。
 神の憐れみと偉大な力によって生きようとする者の為に、主イエスはご自身の命を惜しまず、十字架にお架かりになってその身を与えてくださいました。食べて無くなるこの世のパンではなく、主イエス御自身の貴い御身体を、私達を生かす為の永遠の命のパンとして与えてくださいました(ヨハネ6:22~59)。今度は私達自身の手で、主イエスの永遠の恵みを隣人に配る者として用いたいと願っておられます。乏しい私達だからこそ憐れんでくださり、主の御栄光の為に用いてくださいます。恵みは分ければ分けるほど豊かになっていきます。