実を結ぶ神の御言葉

マルコによる福音書4章1~9節

 主イエスは多くの譬え話をされましたが、代表的なものに種蒔きの譬え話があります。種は神の豊かな「御言葉」を指し、土地はそれを聞いて受け止める人間の「心」を現しています。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。」(3節)直訳は「見よ、出ていった、種を蒔く人が」で、種蒔く人は主イエスです。
 裁かれるべき私達が罪から救われて、豊かな実を結ぶ為の神の御言葉をお語りになる為に、父なる神から遣わされた主イエスを見よ、と仰せられます。神の御言葉は人間を救う力を持っており、救いの実りと祝福を豊かに与えてくださいます。この実りは有り得ない程の豊かさです。
 当時の種蒔きは先ず種を蒔いてから後で耕すという方法でした。道端に落ちるか(4節)、石だらけの土の少ない所か(5節)、茨の中か(7節)、良い土地に落ちるか(8節)全く分かりませんが、あらゆる所に蒔かれました。この種蒔きのように、神の御言葉も実を結べそうな特定の人ではなく、分け隔てなく全ての人々に対して蒔かれています。受け取る私達は御言葉より、自分にこだわる頑なな心がありますが、それでも神の御言葉は蒔き続けられています。故に「聞く耳ある者は聞きなさい」(9節)と、主イエスは仰せられます。
 「聞く耳」は自分自身で作り出すものではなく、主イエスとの関わりにおいて神から与えられものです。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」(サムエル記上3;10)と、神に求めていく事から始まります。「・・・主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人・・・ときが巡り来れば実を結び・・・」(詩編1:1~3節)御言葉を豊かに吸収して育ち、やがて時が来て大きな恵みの力が働き、実りを豊かに与えてくださり、30.60.100倍の実を結ばせてくださいます。
 ルカによる福音書では「良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」。(8:15)と、記されています。忍耐とは、「もちこたえる」という意味です。真冬の間、草木が雪の下でひたすら耐えて春になってやっと芽を出す様子が、もちこたえるという事だと思います。しかし私達がもちこたえている以上に、神が忍耐をもって働いてくださっております。「守る・忍耐」がなければ、残念ながら信仰は一時の感情に終わってしまいます。立派な善い心とは、愚かな自分を見るのではなく、良い土地に耕してくださるキリストに関わり続けていく事です。どのような事があっても、種を蒔いてくださっているキリストの元で御言葉に与り続けて参りましょう。