新しくされて

詩編96編1~13節

  「新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え」(1節)
今年の教会標語です。2012年、日々新たな思いで主に向き合い賛美する教会でありたいと願っています。「諸国の民よ、こぞって主に帰せよ・・聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ・・」(7~9節)と、礼拝をお献げする事によって、人は新しくされ賛美する者と変えて頂き神より限りない祝福を頂きます。
 「・・自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です・・・心を新たにして自分を変えていただき・・・」(ロマ12:1~2)礼拝は修養の為や、ご利益を受け自分の幸福を願うのではなく、唯一の神の御名が崇められるためです。神が全世界の王として統べ治めておられる方ですから(7~9節)私の全生活、全存在を神の御前に神の為に差し出す事、献身が真の礼拝です。
 献身とは伝道者のみならず、全ての人に求められている事です。神によって造られた私達は自分の事の為に生きるのをやめて、神に対して全てに服従する、献身する事が人間の本来の姿です。日々自分に死に続け、キリストに生かされ続けるために礼拝をお献げするのが神に喜ばれる真の礼拝です。そうして人は神の命を頂いて新しくされて成長させて頂けます。このように自分が置かれている現実に目を向けているだけでは人は本当の意味で新しくされない事が分かります。人は様々な過去を抱えながら引きずられて日々送っています。しかし、過去を消し去ろうと精神修養する必要もなく、過去の罪や失敗、思い出す事も辛い事、過去によって傷つきながら生きなくても良いのです。過去を打ち破り全く新たにされるのが礼拝の場です。
 真実な礼拝をお献する事によって後ろのものを忘れ、神に向かって、新しい時に生かされる祝福を頂きます。「後ろのものを忘れる」とは、思い出さない事ではなく、聖書においては「もはや影響されない、動揺されない」事を意味し、自分を献げる事によって神に心を新たにして頂く事で将来に向かって前進させて頂く事をさします。イエス・キリストは人間の罪の為に十字架にお架かりになりその身を差し出してくださったのですから、今度は私達が自分の身体を神にお献げするのが、主イエスの愛にお応えする事です。「この身を神にお献げします。」と主の日の礼拝毎に決意をもって礼拝をお献げする1年でありたいです。