弱さを克服するキリストの力

コリントの信徒への手紙二 12章1~10節

 人は弱さ・苦しみの中で、その痛みに打ちのめされるか、信仰によってキリストの力を求めていくか、選択を迫られているように思います。
「すると主は、わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ・・・と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(9節)
「わたしの力、キリストの力」とは、弱さを克服する方です。信仰を持ったといえども人は相変わらず弱さを抱えていますが、弱さと破れを通してしか分からない、神の力が注ぎ込まれる恵みを知る事に至ります。
 パウロは神から与えられた霊的な誇るべき喜ばしい体験をしましたが、その事を通して「思い上がらないように」と、肉体に一つのとげが与えられました。とげを取り除かれるように再三祈りましたが、願いは叶いませんでした(1~8節)。しかし「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(9節)、という神のお言葉を確言し、むしろ弱さを誇る者へと変えさせて頂きました。力を振りかざしている所に力があるのではなく、神に信頼している所に力が与えられます(イザヤ30:15)
 主イエスは十字架にお架かりになる前に、神に十字架を取り除いてくださるよう願いましたが、むしろ、十字架上で鞭に打たれる力が与えられました。「キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです」(Ⅱコリント13:4)敗北に見える十字架でしたが、そこを起点として復活されキリストの救いが全世界へと広がりました。神の力は弱さの中から、新しいものが生まれ出されていく力です。
 困難の中を生き抜く事ができる人は頑強な人ではなく、弱さの中に働いてくださる神を信じる人です。主イエスを信じても相変わらず弱いままですが、神を信じ心を尽くして依り頼むなら、神の恵みは弱い所に完全に現れます。どのような時代を歩もうと、どのような状況であろうと今も貫くキリストの力がこの私に働いておられます。十分な恵み、完全な力を信じていく事こそ、神を知っている人の生き方です。自分で闘う力ではなく、弱さの中にいよいよキリストの力が宿るように祈り求めていく者でありたいです。