これだけはぜひ知っていてほしい

テサロニケの信徒への手紙一4章13~18節

 主イエスのことばに基づいて終末に関する事が記されています。「・・・主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにしていつまでも主と共にいることになります。ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい」(16~17節)キリスト者を空中へ携え上げられるという神秘的な状況が記されていますが、私達が命を頂いてこの世に誕生した時も神秘の中でした。誰もが神の御計画によって良く分からないままこの世へと引き出されました。同じように最後の時も神秘の中、神によって復活させて頂き天に引き上げられます。人の最初と最後は、私達の常識では理解できない神の御手の中にあります。
 聖書に記されている希望はイエス・キリストが再びお出でになり、私達を復活させてくださる事です。ですから礼拝時に世界中の教会が「・・・主の再び来たりたまふ日を待ち望む」と告白しています。信仰とは平安で、そこそこ幸せな生活を求めがちですが、主イエスがこの世に再びお出でになって復活させて頂く事が究極の求めです。罪の中に遭難し、死にかけているような私達ですが、そこから何としても助け、光のもとに永遠に生きる事ができるようにと、主イエスが再びお出でになって復活させてくださるのです。究極の救いです。
 主イエスがおいでになる時は、合図の号令がかかり、ラッパが鳴り響きます。先ずキリストと結ばれて死んだ者が最初に復活され、引き上げられます。その時「善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ」(ヨハネ5:28~29)と、最後の審判がくだされそれぞれの行いに報われますが、神の御意志は全ての人が滅びないで、尽きない恵みへと救い出したいと、再臨を遅らせています。残された者の悲劇に恐れるのではなく「いつまでも主と共にいる」(17飾)事ができるように悔い改めと共に、喜びと希望を持って備えるなら、神が私達を裁きより神の深い愛に目を向けさせてくださいます。