新しく生まれる

ヨハネによる福音書3章1~15節

 「もし生まれ変わる事ができたら、人生もっと良いものになっていた」と、思った事があると思います。しかし、例え生まれながらの肉体をもって生まれ変わったとしても同じような罪を犯し、同じような悩みに遭遇しながら最終的には誰でも死を迎えます。残念ながらこれは肉の体を持った人間としての定めです。キリスト教はこの「死」からの救いの宗教です。キリスト教が目指すものは、信仰によって新しく生まれ変わって、永遠の命を得る事です。キリスト者は神の恵みと支配の中に入れられて、死で終わりではない希望の中にある2度目の新しい人生を生き始めます。
 本日の箇所には地位・名誉・富・知識に恵まれたニコデモというイスラエルの教師が主イエスの名声を聞き、より良い人生を歩もうと期待してやってきました。しかし唐突にも主イエスは「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(3節)と仰せられました。「新たに」とは、「上より」という意味で神の御霊から生まれる事を指します。「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」(3節)。水とは洗礼に象徴される罪からの赦しと清めであり、霊とは赦された魂に聖霊によって与えられ新しい性質の事をさします。
今の自分の土台に主イエスの教えを重ねても救われません。この命に「神の命」が宿り、神のご性質を頂いて、今迄とは全く違った自分に変えられた時、大いなる祝福を頂けます。そうして以前とは全く違った人生を歩み始めます。これが救いです。それは人間側の努力や修行ではなく「神は豊かな憐れみにより・・・新たに生まれさせ」(Ⅰペテロ1:3~4)とありますように、全ての人を滅びの人生から救いたいと願っておられますから、神の愛によって新しく生まれ変わらせて頂けるのです。
神のお働きが記されています(8節)。風のように形は見えませんし、思いのままに働かれますが、結果は見る事ができます。クリスチャンが生まれ、教会が誕生しました。神様を知らない方も「神様、助けてください」と、叫びますが、既に聖霊なる神が心の中に働いておられるという事です。神の憐れみにすがっていけば必ず神は2度目の人生を与えてくださいます。