天に昇られたイエス・キリスト

ルカによる福音書24章41~53節

 ルカによる福音書の最後の場面に登場する人々は常に喜び、神を礼拝し褒め称える弟子達の姿です(50~53節)。その直前の様子は、主イエスが十字架に架けられ後、復活された事実を信じる事ができずに、失意と絶望の中に居ました。そのような悲しみに打ちひしがれる者から、神を喜び礼拝する者へと変えさせて頂いたのは、聖書で語られている神の御言葉・福音を悟り、聖餐式によって復活の主イエスご自身と出会った事でした(24:26~35)。キリストの福音は執着していた自分の考えと、この世の常識を捨て喜ぶ者へと変えて頂く力があります。クリスマスに告げられた大いなる喜びは「救い主」のご誕生でした。この喜びをやっとこの時自分のものとしたのです。
 「イエスは、そこから彼らをベタニアのあたりまで連れて行き手をあげて祝福された。」(50~51節)と記されていますが、祝福とは信頼・尊敬・感謝・安心・喜び等を現し、主イエスは昇天した後も地上に残る弟子達に対して祝福し続けるという思いが込められています。この祝福は私達にも向けられており、今もなお続いています。
 主イエスは天の父の元に昇って行かれ、決定的な別れの時となりますが(51節)、罪の贖いと復活の命の約束が自分達の為だったという事を確信し、死が終わりではない、という希望と喜びの内にありましたから十字架に架けられた後のような悲しみはもうありません。それ所か「あなたがたにまで伝えられたこの福音は・・・あなたがたの所でも神の恵みを聞いて真に悟った日から実を結んで成長しています。」(コロサイ1:6)の如く、神の恵みを悟った弟子達は「罪の赦しを得させる悔い改め」を宣べ伝える特別の使命が与えられ、主イエスに代わる聖霊なる神の力を与える約束をされました。「父が、約束されたものをあなたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」((48~49節)留まる事は楽な事ではありませんが、神の力を待ち望まないで始められた人間の働きは長続きしません。事を成すのは人間の思いではなく神の力です。キリストの昇天後、弟子達は聖霊なる神の力によってキリストの福音を宣べ伝え、時を経て私達の元にも届けられました。主イエスの昇天後、決定的な新しい時代に入ったのです。