11月14日礼拝説教概要

「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」 ルカによる福音書19章1~10節
●「今日」という私たちへの決心の迫り
「今日」という言葉を聞いたイスラエルの民は、自分たちが神の言葉「申命記」を与えられた日を想起した。彼らは「今日」という人生の境目(ヨルダン川の岸辺)に立ち、以前の罪深い人生(荒野の40年間)と訣別し、神の祝福と救いの約束(約束の地カナン)を信じ、全く新しい世界へ第一歩を踏み出す決心を神から迫られた(申命記27:10)。
●「あなたの家に泊まりたい」という慈愛に満ちた神の救いの御計画
「家に泊まる」は「食事を共にする」を含む愛の交わりである。徴税人は(18:9-14)、強盗・人殺しと同列に罪深い者、異邦人や遊女と同じ汚れた者とされた。見失った小羊ザアカイを主イエスは見出した。「泊まりたい」は直訳で「泊る必要がある、泊らねばならない」の意、神の必然の「ねばならぬ」(4:43、13:33)である。主イエスと私たちとの出会いと救いは,神のご計画(エゼ34:11-16)の中に始まる。「人の子は、失われたものを捜して救うために来た」(19:10)は本書の中心聖句であり、「失われたもの」とは女性、子供、奴隷、貧困者、排斥された人、取税人、サマリア人、そして私たち異邦人のことである。私たちは「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」という神の御愛に速やかにお応えし(急いで降りて来)て、心の神殿(あなたの家)に主イエスを受け入れよう。
●「今日、救いがこの家を訪れた」という主イエスによる永遠の祝福
「立ち上がる」は「堅く決心する」の意。ザアカイの財産半分の施しと4倍の返済は異例で明確な罪の告白と悔い改め、イエスを「主よ」と呼ぶ信仰告白だった。喜んで主イエスを心に迎えるならばどんな罪人も全く新しくされ、主イエスはその家に「今日」救いが訪れたと祝福を宣言されると覚えたい。今日、私たちは主イエスを心にお迎えし「内住のキリスト」によって身も心も聖潔められ、全き者へと変えていただこう。