10月31日礼拝説教概要

「天の故郷に憧れる」 ヘブライ人への手紙11章6~16節
 「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。」(6節)
 神に喜ばれるとは、神を喜ばすとも訳されます。信仰があるなら無力な私達でも神に喜ばれ、又、神を喜ばす事ができます。神が備えてくださったイエス・キリストの十字架の福音、私達に与えてくださった神の独り子・主イエスに対して、心を開き、罪を悔い改めて、救い主と信じる事、この一つの事をプロテスタント教会は語り続けています。礼拝は神に招かれて一同が集められ、ここに神がおられる事を厳かな畏れをもって信じ求めるものです。そしてそのように神を求める者に対して、神は大いなる報いを与えてくださると同時に、それが神の大きな喜びです。
 「・・・故郷を探し求める。・・・天の故郷を熱望していたのです。」(13~16節)信仰を持った人々の共通の足跡です。しかし、信仰の道を歩み出したアブラハムの父・テラは途中で挫折し、ロトの妻は後ろを振り向き塩の柱になってしまった事等を見ましても、天の故郷を求め続け、到達する困難を私達は知っています。この世の生活の中で悪の誘惑に惑わされ、挫折してしまう弱い者です。人間の本能というものは目に見えるものに気をとられ、反対に見えない世界を見据えていくという事は本能的ではないからです。故に私達は目には見えない世界を意識して求め続ける事が必要となります。既に主イエスの復活の恵みによって、この世の常識や人間の思いを遥かに超えた天の故郷(天国)に到達する道は通じています。それが教会であり、礼拝です。天の故郷への憧れを礼拝において、教会生活において握りしめていきます。神の恵みと憐れみによって信仰を持たせて頂いた私達は祝福を逃さないよう、礼拝毎に天の故郷に憧れを持ち続けて参りましょう。主イエスは「信仰がなくならように」と、私達の為に今も執り成しの祈りをお献げくださっています。